みそじらいふろぐ

日々の出来事。毎日のどうでもいい日記。1年に1回まとめて本にするために書きます。

果ての二十日:骨と棘

今日は、果ての二十日。
めっちゃ中二病ワードで素敵です。

そんな果ての二十日は私が大好きな東京喰種のカネキの誕生日です。

東京喰種大好物です。

いつもこの本の読み方が変だと夫に言われますが、私は常々主人公・カネキが幸せになることだけを願っています。

ほかの人が不幸になってもいいから彼だけが幸せになってくれればいい。
いや、彼の幸せを構成する人々には幸せになってほしい。

東京喰種re5巻のこと

そんな東京喰種:reの5巻が発売されました。

今回は買うかどうか悩んで、発売から2日間買えなかった。

というののも無印東京喰種7巻の時並みにパラダイムシフトするような内容に思えたから。

無印の時みたいにある程度まとめて読まないと心臓が痛いなぁって。

そう思ったけど、頑張って買ってみた。

そして、今回気になったことといえば、巻末にあった高槻泉の「黒山羊の卵」の一節。

いつのまにか、胸腔から9つの棘が飛び出して、
横隔膜は今にも泣き出しそうに、震えている。

ちょうど、石田スイ先生のTwitterでこれをみたからこの部分が印象に残った。

今回の巻ではエトが聖書を引用したような問答をカナエと繰り広げるところもあって、やはり棘とは聖書のコリント人への手紙からきているのかなと思い始める。

コリント人への第二の手紙:12章-7節

そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。

この文章に限らず棘という表現は聖書でかなりでてくるもので、弱さであったり肉体的欠陥であったり罪であったりを表しているみたいです。

また胸の9つの棘という意味なので普通に考えて、

胸棘筋

も浮かんできます。

胸棘筋(きょうきょくきん)は、長背筋のうち、前胸の深層に位置する筋肉である。棘筋のうち、頭棘筋と頸棘筋、胸棘筋の3部に分けられたものの一方である。第10胸椎横突起~第2腰椎横突起を起始とし、前側上方に向かって走り、第2~第9胸椎棘突起に付着する。

まぁこれと普通に考えるべきか・・・

「黒山羊の卵」は無印1話目からでてくる伏線の一つでもあり、東京喰種ファンとしては気になるところです。

骨という表現について

今回の巻は聖書的表現が多いという意味では、エトがカナエに「私の骨を分けてあげる」という表現も気になるところ。

骨といえば、聖書で神がイブを作るのは、アダムのあばら骨でした。

イヴ - Wikipedia

創世記2章21-22節

神はアダムを深く眠らせ、アダムは眠った。神は彼の肋骨を1本取り、そこを肉で塞いだ。そして神はアダムから取った肋骨で女性を作り、彼女をアダムの元に遣わせた。

あばら骨は先程の胸棘筋を守る役目を持っているわけで、この2つのことこの巻でてくるということは、誰がアダムで誰がイブの比喩なのか。

一見カナエと月山習のことのようでもあるけど、アダムがカネキでエトがイブという比喩のようでもある。

そうするとその世界の神はだれなのか?

半喰種を作った嘉納先生は一見神のようでもあるけど、

見方によれば私こそがあの人の助手なのかもしれないが…

とつぶやいてることから嘉納は誰か「一人の強い意志」への「支える者の力添え」となっていると考えられる。

その「一人の強い意志」がこの世界の神なのか。

それとも別に神が存在し、「一人の強い意志」が抵抗しているのか。

後から読み返したらこの5巻に色んなヒントが散りばめられてたとなりそうな気もする。

そして、願わくば幸せなラストが待っていますように。

果ての二十日に寄せて。